2.  ギターの運指について思うこと


  ギターは、左指で弦を押さえて、その音を右指で弾くわけですが、初心者のうちは、
「押さえる」「弾く」「離す」そして、「移動する」「次の音を押さえる」というような
ロボット的な段階的な動きになりがちですが、
あたかも枝を渡る小鳥やサルのように、ひとつのフレ−ズを、一連の柔軟な動作の流れとして決めたいものです。
そう、左指の動きこそ、フレーズ単位で歌うためには、なめらかな動きが必要なんですね。

 左指がすばやく準備されないと、フレーズを歌うという音楽作りを妨げてしまい、
発弦以前の問題
になってしまいます。
左指は音楽(右指)をリードすることになり、ちょうど左指は演奏者である右指の指揮者のような関係でしょう。
つまり、左指は、右指によるリズム作り、音作りのための思い入れの先導的役割ともいえるわけです。
しかし、左指については単に肉体的技術的問題と考え、いざ弾くときは、左指はその位置確認をするだけで、
音楽的表現の意識は、ほとんどが右指に行ってしまっているものです。
たしかに左指の訓練には、音楽以前の肉体的な訓練が必要で、時には指を痛めてしまうこともあるほど重労働です。
もともと人間の指は楽器を弾くようにはできていないなあ、とツクヅク思います。

アマチュアのギタークラブや教室発表会などで、よく見かけるのですが、
その曲を一生懸命に練習してきたとは思われるものの、
おそらく一度も完全にスンナリと通せたことはないのでは、、、と思わせるほど、左手のおぼつかない人がいて、
音楽が行きつ戻りつの練習風景を見て聞かされるのは、なんかむなしいですね。
ステージ上での不測のミスはプロでもあることですが、
音楽の流れを中断するようなことになれば、その場でやめるべきですね。
まるで力士が土俵の上で対戦中に「まわし」がはずれたような、おぞましい事態発生だと思えるのです。

左指の練習は、ちょうど床体操の選手の訓練のように、動作の流を分解して、
何度も体がその一連の動きと力の配分を覚えてくれるまで、地道に繰り返すしかないですね。
その前に音楽として、どう表現したいかが、指揮者の立場でわかっていなければなりませんが。
それと、いつも簡単な運指のところでも、
肩から肘、そして手首から指の付け根へと向かう力の流れの意識
が必要です。
つまり、楽なところで、逆の力の方向でネックにぶら下がるような体制にならないように、という意味です。
しかし、いつも左指に、自分の胸方向への力が必要ということではなく、
手首まで力のベクトルがそうであって、指は最小限の力で押さえ、自由であるべきでしょう。
ただ、押さえている指先が、手首方向に逃げるような力の逆流が無意識に起こらないように気をつけたいと思います。
初心者のうちは、押さえたとき、爪と指先の肉が離れるように、垂直に押さえる基本は守りたいものです。

さて、ところで左指のなめらかな動き、といっても和音などで、左指が目にも止まらぬような早業で、
瞬間移動して、フレットを押さえてゆくことは不可能ですし、また、その必要はないでしょう。
和音の流れで、掛留(けいりゅう)音が解決するようなフレーズでは、極力、和音はレガートであるべきですが、
時には和音の連続するフレーズで、
和音に無音の隙間が効果的に作られたほうが軽やかなレガートに聞こえる
ことがあります。
たとえば、ソルの練習曲Op28-10(セゴヴィア編18番)や、
バッハのシャコンヌのニ長調の部分、ヴィラ・ロボスの和音練習曲など。
もちろんこの「無音の隙間」は、初心者的な音のぶつ切れではなく、
発弦法で触れたセンスある積極的な消音でなければなりません。
つまり消音の絶妙のリズム感が、軽やかなレガートをつくり出すのです。
多くのアマチュアは音を出す練習はしているが、絶妙な消音の練習はほとんどしていないと思います。
スタッカートと、ノンレガートの消音の、音楽的目的の違いにも気づいていないと思えます。
また、ここでいう消音は、休符の消音ともまったく違うものです。

そして消音は弾いた指ですばやく消したり、空いた右指でやりますが、重要なテクニックとして、空いた左指のほか、
消音を目的に押さえた指の力を抜くという実際のテクニックにも気づいていない人が多いようです。
これは弦の振動の支点をなくすことなのでノイズなく確実でストレスのない消音ができて、
モーツアルトのようなンレガートのスケール風のメロディーラインには大変効果的です。
音を出す瞬間だけ左指をしっかり押さえ、次の音を出すタイミングまでに消音して、
その間に次の音を押さえる準備をする。
これはピアニストの指が、たとえば連続する8分音符の音と音の間で
完全に鍵盤から踊るように浮かび上がっているのと同じ。
ただ、ピアノにはサステインペダル(音の持続のコントロール)があって、指の動作だけでは不可能な、
さらに絶妙な消音ができることはギターに比べて、表現の可能性において大変有利なことです。
アマチュアでは、開放弦の後処理が無頓着な人が多いですね。極力、左右の空いた指で正しく消音しましょう。

ついてですが、ヴィヴラートも左指の重要なテクニックのひとつです。
押さえた指の先端を軸として、キリで穴をあけるように指をコネクリまわしても良いヴィヴラートはできないわけで、
まず指の先端が強力磁石で吸い付いた状態で、指自体には、そんなに力は入れずに、逆に指を離したい気分で、
指の第1関節と第2関節のシナリを利用して、弦を引っ張るようにはじめ、ゆり戻すようにしますね。
つまり左指に、横方向の柔軟性が必要だということで、もし、
弦楽器をやってみるとヴィヴラートの何たるかが体得できます。
弦楽器の場合は手首までの柔軟性が必要で、弓を弾き続けている間、指先には継続的な吸着力が必要です。
とにかく、弦楽器奏者は、のべつ単音でも和音でもヴィヴラートをやっていることに気づきましょう。
ギターでは、比較的長い音にヴィヴラートをかけるときに、
ちょっと間を置いてから、弦を引っ張るヴィヴィラートをはじめると、
意外と音の衰退が瞬間、増幅に変わって、さらに音を長く持続することができます。
シャコンヌの最後の5弦の「レ」で試してみてください。
これはかつて、N.イエペスが講習会で小原安正氏の通訳で言っていたことです。
いずれにしても、長めの音は膨らませながら、やがて加速するヴィヴラートで、
減衰とともにその音を収める気持ち
が必要です。
ヘタなのに気取ったシャンソン歌手のような、正弦波的なヴィヴラートは聞いていて不自然で気持ち悪いものです。

ちなみに、5フレット以下ではヴィヴラートは効果なしと思っている人もいますが、発想を転換すれば
弦をフレットと同じ方向に揺する
ことで1フレットでもヴィヴラートの代替は、古くからおこなわれています。
しかし、このフレット方向と弦方向のヴィヴィラートでは、明らかに耳に響く音の揺らぎに違和感があり多用は禁物。
その違いと理由が、すぐにわかる人は歌心がある人だと思います。
そして、開放弦のヴィヴラートは、、、
左手が空いておれば、かつ、ロジャースの糸巻きなら、ペグ操作でヴィヴラートも可能?これは冗句です。
音の後処理を意識する人は、可能な限り、また開放弦をあえて効果的に使う以外、開放弦を使わない
ものです。

さて、指に関するフィジカルかつメカニカルな極意は、カルレバーロの著書「ギター演奏法の原理」にゆだねるとして、
ギターの左指の合理的な運指について考えてみたいと思います。
合理的とは、肉体的な合理性のみを意図しません。音楽表現での合理性がテーマです。
音楽的合理性とは、たとえば連続した同じ音を押さえるとき、あえて、別の指で押さえなおすことで、
歯切れよさを表現するような運指を意味します。
あるいは、1弦開放の次に2弦を弾く場合、あえて、後者の指を寝かせて押さえ、1弦に触れて消音するとか。
さらに、はじめの音から1音上がる旋律では、音楽表現上、いろいろのパターンが選べます。
ひとつは、2音を別の指で押さえて、同じように弾く。次は、2音目を上昇スラーで叩き右指は使わない。
次に、1音目の指をスライドさせて2音目の音を出してヴィヴラートする。(ポルタメント)
さらに、同様にスライドさせるが、2音目も右指で弾く。(グリッサンド)
あるいは1音目の指を少し浮かせて消音して、1音目と同じ指、あるいは別の指で押さえて弾く、などなど。

要は、運指は音楽表現の手段としての工夫によるもので、
単に、指の動きが動的に合理的であるだけではありません。
だから、人それぞれの運指があってしかるべきで、楽譜におせっかいで書かれている、無いほうがマシな運指や、
あるいはそこそこの演奏家によって推奨された運指など、いろいろですが、そのままで良いとは思えません。
最終的には、音楽表現から見て、自分はこうする、という自分の運指を十分考え直すべきでしょう。
セゴヴィアの情緒的運指や、イエペスの非情緒的運指に抵抗のある人も、
それでも学ぶべきものはあるとも思います。原稿ミスや印刷ミスは別として。
とにかく、楽譜はすべてを指示した設計図ではないので、組み立て方は人の感性によるので完成物は変わります。
もっとも、初見で音楽を即席で上手に組み立て、
経験的に身につけた運指で十分音楽にできる人もネット界にもいます。
ちょうどモーツアルトが5才くらいのときに、ヴァイオリンを弾きたいといって、はじめてアンサンブルに参加して、
でたらめな運指ながら奇跡的に、恵まれた音楽的才能で人ををかせたような。
言ってしまえば、何でも「結果」なんですけどね。
しかし、その後、モーツアルトが楽器奏法の理論的勉強は一切しなかったとは思えません。

また、横道にそれてしまうんですが、、、私が編曲をしていて、原曲楽譜に相対してすることは、移調を考えたのち、
実際の編曲音符を書いてゆく作業では、ギターを持って、運指をさぐりながら音を選んでいきます。
そしてフレーズを何度も弾いてみて、原曲に近い音の流れで、かつ運指が自然になるように考えています。
もっとも、音楽の流れがギターにとって辛い運指しかない場合もあり、いちばん悩むところですが、
練習すれば何とかなるという妥協点を模索します。
私は左指が決して強いほうではないので、曲芸的な運指にはなっていないとは思っているんですが。
実際のところ、自分で演奏するときは、和音も中間声部の音を抜いたりして、自分で弾けるようにしています。
ただ編曲楽譜上では、目いっぱい限度内で可能性を求めているのです。

編曲楽譜では、自分の音楽として流れることが大事なので、自分なりに手直しして良いと思っています。
何も、最終完全設計図として100%そのとおりにしようと、与えられたその譜面に固執することもないと思います。
音楽的判断力に乏しいと思う人は、えてして従属的になりがちですが、省略法を考えることも音楽の勉強です。
そして、単に弾きやすさだけで運指を変えるのではなく、フレージングや、アーティキュレ^ションの観点から
自分の表現したい音楽のために、大いに運指は試行を重ねて、工夫して変えるべきです。
おもしろいことに、テクニックがついてくると、あるいはその音楽がわかってくると、また運指は変えたくなるんですね。
日によって、気分によって、今日は、こうしたい、ってこともあったりして。

それに関連して、右指においても、スケール的な音列は、i m の交互でなくてはならないとか、アクセントのある音は
アポヤンドでなくてはならないとか、というような既存概念の固執からも開放されるべきです。
とにかく、私にとって、編曲とは原曲を尊重しながら、ギターとして自然な運指を考えることに他なりません。
私の運指を体系的に説明できる方法序説はありませんが、
その音楽を表現したい気持ちが、そのための運指を導きだしてくれるのではないかと思います。
いくつかの私の編曲から、私のその曲への想いを楽譜の運指の流の中に感じていただければ幸いです。
蛇足ながら、私の楽譜に書いたフレージング記号にも注目していただきたい。
それを、その曲の表現の練習単位と思ってもいいでしょう。

最後に、カルレバーロによると、
「すべての楽曲は施された運指と、使用するテクニックによって、難曲にも簡単な曲にもなる。
運指の問題はとてもデリケートなものだ。
フレーズを効果的に弾くための楽器奏法論をよく知りえていないと、つい間違った運指を選んでしまいがちである。」

 



談話室 2.

アベル・カルレバーロの「ギター演奏法の原理」
(現代ギター社出版、高橋元太郎訳、初版2001年)は、なかなか有益な本です。
右手、スケール、消音、ヴィヴィラートそして、右手左手のテクニックと、フィジカルな要素を主体に書かれている。
私も最近この本に影響をうけているかも知れないが、筋肉の固定化については、
昔イエペスが和音をフォルテで弾くときに強調していたのを思い出した。
彼は弾くべき全指で弦を押し込んで、指から手首を硬直させて、その反動を使いながら、
弦に衝撃的な振動を瞬間的に与えることで、フォルテの和音を響かせることを言っていた。
また、和音のなかのひとつの音だけアクセントをつけて、アクセントの弦を変えながら連続して同じ和音を弾き、
アルペジオのように聞こえるような練習を自分で考えたが、この本でも類したことが触れられていた。
なによりも、カルレバーロは「アポヤンド」を古い教本で見られるような、固定的な奏法概念とはしていないことだろう。
私も若い頃、カルカッシのOp60(25の練習曲)の1番の弾き方がわからず、ほとんど弾くことはなかったが、あるとき、
撥弦法の極意は指のアタックの早さであり、速さが音エネルギーを生むので、
アポヤンドだけに頼る必要がないことがわかると、アポヤンドを意識せず、
やっと弾けるようになったことがあり、これにはなるほどと共感した一説である。
とにかく、この本では左指の省エネ的練習については、かなり懇切丁寧に指導されているところが有益です。

余談室 2.

弦の交換はあまり楽しい作業ではないので、できるだけ早く作業を完了したいものです。
そこで、私が昔、ある合理主義的なギター製作家に教えてもらった方法は、

1) まずブリッジ側をセットする。(2回くぐりでいいでしょう) そして、長めにしておいて、余分な端はニッパーで切る。
弦の端の巻き線がまばらなところがある場合、カットしてその部分は使わない。

2) 机の上でヘッドの先を自分のヘソに向けて置き、すなわちヘッド側に位置することになる。(弦が目線方向となる)
そして、糸巻きのパイプのトンネルがヘッド側上部から見て45度の目線(俯角)になるようにしておく。

3) 弦を手前に軽く引っぱりながら、パイプの上から弦を通し、下に出た弦をヘッド側から、上にひっぱり上げる
弦は二度鋭角に折れ曲がりながら上に出てくる。

4) その弦をトンネルの入口付近で元の弦を下からくぐらせ、上がってきた弦の方向にUターンして、下に引っぱる
そこで、グッと弦を引っ張ると、くぐらせた弦は、元の弦に押さえられ、
トンネルの入り口に食い込んで、手をはなしてもピタリと止まります
ただし1弦、2弦では、くぐらせた弦をUターンの途中で、もう1回くぐらせるほうが無難です。
これはトンネルの入口がスリバチ状なのを利用していて、しかも、すでにある程度張った状態でもあります。

5) そして、余分な弦の端を1センチぐらい残してニッパーで切ります。後はギターを抱いて音を合わせるだけ。
この方法だと、パイプを2、3回まわすだけで調律できます

なお、弦をはずすときは張力を無くしてから、ブリッジ付近で、ニッパーで切れば取り外し作業も早いです。

あと、気をつけることは、全弦を交換するときは一度に全部はずさずに、1本づつ順番に交換しましょう。
1弦から3弦へ、6弦から4弦への順番で。なにしろ、6本の弦の張力は大のおとながぶらさがるくらいの張力ですから、
一挙に全部はずすと、表面板に急激な張力の変化を与えて良くないと思います。
かといって、ギターを弾き終えてから全弦を数回緩める習慣は、逆に弦にとって、あまり良いことではありません。

ではまた。。。(2004.2.11.)

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